小周天4(内光、丹光)


 泥丸で、気の質を冷んやりしたものに変えて意識をかけていると、やがて本に書いてるように頭に霧がかかったような感じになります。その霧はぼやーっとしてて、自分の感覚としては、頭の周りに少し白い輝きがかかる様な感じでした。
 
 私にとっては、この泥丸での経験は後の修行で特に意味を持つ事になります。この後、仙道を何年も修行を行っていると、泥丸に意識をかけている時に、泥丸から広がった霧がやがて優しい光みたいな気へと変化し、頭全体を満たし潤わして、その影響が体全体まで及び、体を得もいわれぬ快感で包みこみ、自分自身の存在感をなくす様な体験をする様にまでなります。
 
 本を見ると、この様な体験は丹田で気を練った時に起こりやすいと書いてあります。確かに私も後に丹田でも同じ様な体験をする様になりますが、自分的にはこういった現象は丹田よりは泥丸の方が起こりやすい様に感じました。私の場合は、それまでにヨガなどでサハスララ・チャクラに関する別の修行をやっていたなどの影響もあったと思われます。この辺は同じ仙道という修行を行っても、やはり個人差が出るのでしょう。
 
 次に頭で光として頭全体に広がった気を、また一点に集中してピリピリした気に変え、額の印堂(眉間の場所)へと持っていきます。本には、そこに気を持っていったり強めたりしていると、やがて瞑った目の前に青色や青紫色をしたアメーバや雲が動くような形の「内光」というものが見えてくると書いてあります。しかし、私の場合は以前から他の神秘行の修行をしていた事もあって、もともとうごめく雲の様な内光は見えていました。その為、ここで内光が見えるようになった!という劇的な体験は経ませんでしたが、しかし、最初に印堂へと気をもってきた時は、それまで見えていた、雲の様な内光がいっぺんにはっきりしたのを覚えています。
 
 また少し話は変わりますが、仙道でなくてもヨガの瞑想などをしていても、実はこの雲のような内光は見えるようになります。そして内光では、ときどき点の様な強い輝きを放つ光が現れたり消えたりするといった現象も経験します。仙道の丹光法では、この点光を自在に制御する修行をしますが、この点の光の制御は西欧の神秘伝統のGD系の第一の修行法である「点の瞑想」とも繋がるところがあるのです。GD系では、最初に「点」に関しての深い考察と瞑想をしますが、この際、瞑想がうまくいっている人は、実際に自分の目の前に点状の光が現れるのです。もちろん人によっては違う人もいるかもしれませんが、一つの参考として覚えておくと良いかもしれません。
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