外界の知覚と認識の違い


 私達は普段、外界の情報を五感を通して受け取り、それを元に行動を起こしています。しかし、その五感によって受け取った情報は、そのまま認識されるわけではありません。例えば、今、このページを読んでる貴方の事を考えてみましょう。本来、貴方の目の前にあるのは、ディスプレイ上に映し出された様々な色を持った光る点の集合でしか無いはずです。しかし、我々はそれを「PCのディスプレイ」に映し出された「文字」という情報であると認識しています。このように、私達は無意識の内に、それまでの学習によって外界から得た情報を、自分の意識に何らかの意味あるものとして理解できるように変換する機能を意識内に持っているのです。
 
 この機能は、まず外界から情報を得ることからはじまります。しかし、外界から得る情報はとても膨大なものです。そのため、この機能はその情報をその当人の現在の状況に必要なもののみに、取捨選択することを行います。そして、取捨選択された対象は、その当人が今まで培ってきた記憶、学習により、自分にとっての何らかの「意味のあるもの」に変換されます。その「意味のあるもの」にまで変換されて、対象はようやく意識上に認識され、それに対しての判断が行われます。これら一連の作業は、当人がそれと気づかないうちに行われているものですが、こういった機能が脳にあるからこそ、人間は外界のものに対して秩序だった反応が行え、現在の文明を築くことが出来たといえるでしょう。
 
 ただ、この機能には様々な盲点があります。例えば、こういった外界の対象を認識し、何らかの意味のあるものに変換する機能は、基本的には全ての人が共通のものを持っていると考えられがちです。例えて言えば、「リンゴ」という言葉によって連想されるものは誰にとっても「リンゴ」と思われるでしょう。この共通さがあると思っているからこそ、人間はコミュニケーションを行えるのです。しかし、厳密に言えば、この共通さも、各個人がそれまでにどのような経験を経てきたかによって様々な違いが生じることを、皆さんは知っておくべきでしょう。例えば、「リンゴ」という言葉から連想されるものは、ある人にとっては普通の赤いリンゴでも、ある人にとっては青リンゴであるのかも知れないのです。また、「火」という言葉から連想されるものは、ある人にとってはコンロの火であり、ある人はストーブの火であり、ある人は山火事のような火であるかも知れないのです。
 
 そして、同じ時に同じ「もの」を見たとしても、ある人とある人では、それまで経てきた経験や学習による先入観によって、その認識の仕方が違う事もあるのです。例えば、下の図を見てください。
 
(「心理学」有斐閣双書出版より) 
 
 中学生以上の多くの人はこれを「THE CAT」と読むことでしょう。しかし、よく見れば解るのですが、上の図のHとAは同じ形の文字でしかないのです。それでも、多くの人が、TとEの間の文字をH、CとTの間の文字をAと読んでしまうのは、その人がそれまで経てきた英語の文脈の学習により、「この文字とこの文字の間には、この文字が入るべきだ」という、意識の中に先入観が作られてしまってるからなのです。これらのように、人はその学習してきたものによる先入観により、本来は別の意味を持ったものでも、意識の中で”歪めて認識する”ということをよく行ってしまうのです。そして、こういった誤認識は英語の勉強をした事が無い人にとっては起こらず、HとAは同じ図としてしか認識されないものでしょう。
 
 これらのように、人間が外界の情報を知覚する時は、それらの情報はそのまま受け取られているわけではなく、その当人がそれまで培ってきた学習によって、ありのままの情報は自分にとっての意味のあるものに変換・歪められ・着色されて、その上で自分にとって認識できるようになるのだということを、神秘的自己探求を学ぶものはよく知っておいてください。
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