シャドウの認識


 このシャドウという存在は貴方自身の心の一面でありながら、理解できていない、認識できない、そして「認識したくない」存在です。しかし、貴方の心の内にそういった理解できないものを放っておくということは、すなわち、そういったものに対して上手く対処できないということにも繋がるのです。そういった対処できない心を放っておくのは、貴方の人生の上で、とても危険な事になるでしょう。
 
 例えば、現実世界で社会に出て生活していると、人は、様々な他人に会います。その中には自分のシャドウと似通った面を、強く表に出す他人というものが「幾らでも」存在するのです。そういった他人に出会った場合、人は感情的にその他人に振り回されてしまう事になるでしょう。そして、貴方の貴重な自分の人生の時間は、理解できないそういった人に悩まされ、多くの労力を費やすことになってしまうのです。
 
 しかし、ここでシャドウという存在を「悪いもの」「不要なもの」でしかないとは、誤解しないようにしてください。貴方の心のうちにあるものは基本的に、全てが貴方という存在にとって必要なためにあるのです。シャドウ、影というとそのイメージから、一般的に「悪いもの」、消してしまえば良いものと考えられがちですが、シャドウは本来、貴方自身の全的な面を持つ心のうちにある、自我とは逆、別の性質を持つ存在でしかないのです。
 
 だから例えば、通常の人はそうでしょうが、貴方が社会的な存在として生きているのでしたら、貴方のシャドウは反社会的な存在になります。しかし、もし、貴方が反社会的な存在として生きているのでしたら、貴方のシャドウは社会的な良い存在になるのです。また、貴方が優しい性格をしていれば、シャドウは怒りっぽくなりますが、貴方が怒りっぽい性格でしたら、シャドウは気長な優しい存在となるのです。そして、その、どの面もが一個の生命体である貴方にとっては存在して当然なものなのです。本来、一人一人の人間は、この人間社会に見られる人間が表す全ての面を持った「全的」な存在なのです。その「全的」な存在である人間が社会で暮らしていこうと、ある特定の面に光を強くあてようとする場合、その反対側に出来る影がシャドウといえるものでしょう。
 
 神秘的自己探求を学ぼうとする学徒は、自分の心のうちにある、こういった機能をよく認識し、他者と交流する時の自分の心の内に起こる事をよく見つめていってください。そして、自分の中のそういった影の感情、見たくない部分の存在も認めてやり、それも「自分」のうちにある心の面のうちの一つなのだと理解する事を心がけていってください。
 
 しかし、ここで誤解しないようにしなければならない事があります。幾ら、そういった社会的に「悪」とされる面が自分の心のうちにあるという事を認めても、それを実際に行動として行なう事は、また別問題なのです。この人間社会で暮らしていく以上は、その社会のルールに従って生きていくというのは処世術として当然の事柄でしょう。少なくとも、表立って目立つようなルール違反的な行動をすれば、その人は、この人間社会を成り立たせている常識という法則によって、人間社会から排除されてしまう事になるでしょう。
 
 また、そういったルール違反の行動を起こす人を見て、あれを悪と思うのは自分が悪いからだ、と思って無視してしまうのも勘違いの一つです。現実にそういった悪い行動を起こす事を見た場合は、それに応じた対処をしてください。
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