アレイスター・クロウリー伝
(弟子たちの動向から息子誕生まで)


マッドとハーシグの追放。エイカドの狂行

 
 セレマの僧院をたたんだ後、クロウリーとハーシグは北アフリカのチュニスの安宿に居を移す。この頃には、クロウリーの麻薬中毒はかなり悪化しており、当然、健康も悪化。彼自身、年齢も、もう若くはない。そこでクロウリーはいよいよ麻薬をやめようと決意したらしい。しかし、麻薬は簡単にやめれるものでは無い。クロウリーも何回も失敗を繰り返した後に、ようやく麻薬をやめる事に成功したようである。また、弟子のマッドを金づるにする事に成功したクロウリーは、マッドとハーシグを安宿に残したまま、その金を持って自分は快適な高級ホテルに移ったのだった。しかし、クロウリーが留守にした間に意外な展開が起こる。マッドとハーシグが愛し合うようになったのだ。2人が結婚したいとまで言い出したので、もちろんクロウリーは大激怒。マッドに強制的に「魔術的隠退」を指示し、彼をハーシグから引き離したりまでしたのだった。
 
 この時期、クロウリーは後に自伝として出版することになる「Confessions」を書き始めている。また、24年の初めには神秘界の巨匠とも言われるグルジェフと会っている。しかし、彼らはオカルトに対する興味のベクトルがあまりに違ったのであろう。お互いに殆ど興味を抱かなかったようである。また、作家フランク・ハリスと知り合ったクロウリーは、ハリスから500フランを借り、その金でパリへと渡っている。しかし、借りたと言っても当のクロウリーは、返すつもりなど毛頭無かった模様である。とうとう怒ったハリスは請求の手紙を送った。しかし、クロウリーから返ってきた手紙には、彼は神々から選ばれており、その神々が言うには資本主義社会は将来壊滅する運命にある。金を返しても意味など無い。それよりも、ハリスにとってはクロウリーの宗教の信者となる事こそが良いことである、という、全くハリスに金を返そうと言う意志のない、無茶苦茶な内容が書かれていたという話が伝わっている。
 
 クロウリーにずっとたかられ続けたマッドは、とうとう金銭的に行き詰まり、一時的に浮浪者や貧困者の収容施設に入ってしまう事になる。その為、クロウリーは今度は別の弟子から金を巻き上げて、パリで羽振りの良い生活を続けたようである。また、この時期、クロウリーが宿泊していたホテルの経営者が、素行の悪いクロウリーを追い出そうとしたところ、激怒したクロウリーは呪いをかけて、そのホテルが破産してしまったという嘘か本当か解らない話も伝わっている。
 
 もう金を吸い上げることが出来ないと理解したのであろう。24年の9月にクロウリーは、とうとうハーシグとマッドを追い出している。そして彼はすぐに、アメリカ人の女性Dorothy Olsen(ドロシー・オルセン。以後オルセン)と出会い、彼女を新しい恋人にしたのだった。もちろん、クロウリーは彼女からも金をまきあげて、その金を持って北アフリカへ行き、「魔術的隠退」を行っている。クロウリーの噂が聞こえなくなったのを好機と捉えたのであろう。この機にハーシグとマッドは結婚宣言をしたのであった。しかし、マッドを養うためにハーシグは娼婦になったとの話もあり、マッドも元師匠同様まともな社会生活を営んでいなかった模様である。25年、クロウリーとオルセンはチュニスに渡り、3月にオルセンはクロウリーの子供を妊娠するが流産してしまう。そして、その後すぐ、オルセンもクロウリーの下を去ることになる。
 
 クロウリーに追い出され、また結局マッドとも別れたハーシグは、アメリカに帰国して、元の職業であった教師業に復帰したのであった。そして、同じくクロウリーから追い出されたマッドは、精神的にかなり危ない状況に陥っていたらしい。その後、自らを新しい世界のマスターであると宣言までするも、約10年後に入水自殺している。
 
 同じくクロウリーの有力な弟子であったエイカドも、この頃には精神的に危ない状態に陥っていた模様である。彼は、キリスト教徒を内側から、クロウリーの教えに改宗させようという目的で、彼自身がカトリックに改宗するという愚挙に出たのだ。もちろん、カトリックの人々がそんな話に耳を貸すわけがない。自らの天才的閃きが上手く行かない事を悟った彼は、とうとう次にとんでもない事を行う。バンクーバーの街の大通りでレインコートを脱いで、全裸になって街を練り歩いたのだ。後に彼が語ったことによると、これは自らが「幻影のヴェール」から解放された真理を世間に証明する行為だったという。幻影のヴェールだけでなく、身体を隠すヴェールまで解放してしまった彼は、もちろん当地の警察によって即、逮捕。そして、これらの愚行を聞いたクロウリーは、一時は自らの魔術的息子とまで見做したエイカドを結局、破門したのであった(破門理由については、実は別のものであったという説もある)。

OTO首領就任

 
 あいも変わらず自分ではまともに金を稼ごうとせず、弟子や恋人にたかる日々を送っていたクロウリー。しかし、彼は24年頃に、聖守護天使から、クロウリーに黄金を雨あられと降りそいでくれる富豪が、西の方からやってくると予言されたという。その少し前の22年、OTOの2代目首領テオドール・ルイスは病気により、その地位を退いていた。クロウリーによるとルイスは、次のOTO首領にクロウリーを指名していたという。
 
 その為、クロウリーは25年の夏にドイツのOTOから次の首領を決める会議に呼ばれることになった。彼は、この知らせに喜び、自らの教えの中核である「法の書」と、それに関わる文書をドイツOTOに送る。しかし、それらの文書はOTO機関紙で発表され、その内容があまりに過激なものであった事に驚愕したドイツOTOメンバーは、クロウリーを次期首領として認めるか否かで3つのグループに分裂してしまうことになった。
 
 1つ目のグループはクロウリーを首領として絶対認めないグループ。2つ目はクロウリーを首領とは思わないが、重要な師の一人であるとするグループ(この代表的なものにはサターン同胞団があった)。そして、最後はクロウリーこそ秘密の首領であり、OTOの代表としてふさわしいと認めるグループであった。この最後のグループを指揮する事になったのがKarl Germar(カール・ゲルマー。以後ゲルマー)という人物である。彼は、この時期からクロウリーに心酔。強力にクロウリーを首領として推した模様である。
 
 結局、OTOの首領選出には最後のグループが勝利を収め、3代目首領にクロウリーの就任が決定する事になる。しかし、もちろんそれを良しとしないメンバーもドイツOTOには多くいた。そこで彼らはクロウリーを首領とするグループから離反し、別のOTO団体を立ち上げる事にしたのであった。
 
 ゲルマーはこの時以来、クロウリーに大きな経済的援助をする事になる。黄金雨あられとまではいかないにせよ、クロウリーの聖守護天使の予言がある意味、成就したことになったわけである。この有能な弟子(新しい金づる)ゲルマーのおかげで、クロウリーは帰還したパリで、しばらく裕福な生活をしたようである。しかし、クロウリーはゲルマーの思い描いたような人物では無かった。ゲルマーの妻からクロウリー宛に「$15000も出したのに、貴方は全然創造的作業もせずに、タバコや酒や豪華な食事や女にうつつを抜かしている」といった内容の非難の手紙が出された記録も残っている。

リガルディーとヨーク

 
 1928年、クロウリーの下に後の魔術界でも重要となる弟子が2人現れている。その一人はIsrael Regardie(イスラエル・リガルディー。以後リガルディー)。もう一人はGerald Yoke(ジェラルド・ヨーク。以後ヨーク)である。リガルディーは元々イギリスに生まれたが家族につれられアメリカに移住。オカルトに興味を持っていた彼は成年後、クロウリーの著作を読み感銘。しばらく、アメリカからはるばるクロウリー側と文通をしていたが、思い余った彼はとうとう、28年10月、フランスに住んでいたクロウリーの下に押しかけ無償の秘書となってしまったのだ。なかなか情熱的な人物である。しかし、当のクロウリーは弟子の成長を喜ばない師匠であったらしい。4年後の32年、リガルディーがクロウリーの下で学習した成果を纏め、出版した魔術に関する著作「The Tree of Life」をめぐって彼らの間で大喧嘩が発生したのだ。クロウリーは、この「The Tree of Life」を読んで、弟子のくせに生意気だと受け取った模様である。結局、リガルディーとクロウリーは喧嘩別れしてしまう。また、その後、クロウリーは陰湿にもリガルディーの事を貶める怪文書を、魔術界の知り合いにばら撒く事までした模様であった。
 
 短い間ではあったが、この時期、クロウリーと一緒にすごしたリガルディー。彼はこの当時のクロウリーについて、次のような逸話を伝えている。クロウリーは元々チェスの名手だったが、この時期には彼のその能力は常人とはかけ離れた領域までいっていたらしい。クロウリーは目隠しをしながら、同時に2人とチェスの対戦を行っても、その2人の相手に勝つ事が出来たというのだ。これは、意識の中にチェスの盤面を思い浮かべながら行う事により可能となるものであるが、これは魔術でいう「視覚化」の能力にも通じるものであり、クロウリーがその能力に長けていた事を示す例であると言えよう。
 
 ヨークは英国の裕福な貴族の家庭に生まれた御曹司であった。彼もまた成年後、神秘思想に興味を持ち、同じ大学の先輩であるクロウリーと交流をはじめ、その弟子兼友人的存在となる。彼は、その財力をもって老年のクロウリーの生活を経済的に支える事になった。また、ヨークはクロウリーをはじめとして、GDの様々な貴重な資料も収集し最終的にロンドン大学のウォーバーグ研究所に寄贈。後のGD伝統研究者たちに大きな恩恵をもたらしたのだった。

2度目の結婚

 
 29年のはじめ、クロウリーはニカラグア人のMaria Teresa Ferrari de Miramar(マリア・テレサ・フェラーリ・ド・ミラマー。以後ミラマー)という女性と出会い、彼女と恋仲になっている。同年3月、クロウリーはその頃滞在していたフランスで、当局より国外退去命令をくらい、リガルディーやミラマーともども英国に帰還している。実はこの国外退去命令は、リガルディーの姉が、弟がやばい黒魔術師と関わるのをやめさせようとフランス当局にクロウリーの所業を通報。フランス当局は、クロウリーを国外追放したのだが、リガルディーもそれに一緒についていってしまったのだという話が伝わっている。
 
(ミラマーとクロウリー)
 29年から30年にかけて、クロウリーはその代表的著作といえる「Magick in Theory and Practice(魔術 理論と実践)」や「Confessions(告白)」、「Moonchild(月の子)」などを矢継ぎ早に執筆。この頃の彼は筆がのっていたようである。また、29年8月にはミラマーと53歳にて人生2度目の結婚をする。しかしこの結婚は、ミラマーに英国国籍を与えるための偽装結婚だったという説もある。このミラマーという女性について、クロウリーは彼女を「ヴードゥーの高等女司祭」と呼び、魔術的な強い影響力を持っているとして、かなり惚れ込んでいたようである。
 
 しかし、彼は翌年の30年にはHanni Larissa Jager(ハンニ・ラリッサ・イェガー・以後イェガー)という19歳のドイツ人女性と出会う。この女性とも良い仲になる事に成功したクロウリーは、もちろん、より若いイェガーを選ぶことにしたのだった。彼女が妊娠した為、クロウリーは邪魔になったミラマーと別れる方法をいろいろと画策。クロウリーの策自体は上手く行かなかったようだが、結局、ミラマーは精神を病んでしまい、精神病院に収容され、離婚が成立することになった。そして同年4月、大手をふって新しい恋人と楽しいひとときを過ごそうとベルリンに渡ったクロウリーは、イェガーに逃げられてしまった事を知るのであった。
 
 31年8月、クロウリーは次の恋人Bertha Busch(以後ブッシュ)を見つける。しかし、クロウリーと彼女は、よくひどい喧嘩をしたらしい。ある日、彼らは道の真ん中で喧嘩を始めてしまった。激高したクロウリーは、なんと彼女をひどく殴りつけたようである。この喧嘩は、よりにもよって通りがかったナチの隊員達によって仲裁されたらしい。結局、このブッシュとも32年に別れたクロウリーは同年ロンドンに帰り、次の恋人Pearl Brooksmith(以後ブルークスミス)を見つけている。
 

裁判と長男誕生

 
 33年5月、クロウリーはたまたま通りかかったプレイド街の書店で、自分の書いた小説「月の子」がショーウインドに飾られているのを見つける。しかし、その本につけられていたコメントを見た彼は、それを彼に対する侮辱と受け取り、その書店の店主を相手取って裁判を起こしたのだ。この裁判はクロウリーが勝訴し、彼は店主から賠償金を巻きあげる事に成功する。
 
 これに味をしめたクロウリーは、同様の方法で、またひと儲けできないかと企んだ模様である。彼は旧友ニーナ・ハムネットの自伝に、クロウリーという人物が、赤ん坊をさらって怪しげな儀式に使ったりするような黒魔術師と受け取れるようなところを見つける。もちろん、クロウリーは名誉毀損で、その自伝を発行した出版社を相手取って34年4月に裁判を起こしたのだった。しかし、これは見事に失敗する事になる。彼はこの時の法廷で、自分は若い頃から品行方正であったと大嘘の証言までした模様である。しかし、結局、裁判官の前で彼のこれまでの悪行が細かく掘り起こされ、笑いものにされただけで敗訴したのだった。
 
 だが、世の中は解らないものである。この裁判で負けて法廷を出たクロウリーに見知らぬ19歳の少女が言い寄ってきたのである。彼女の名前はDeirdre Patricia Macalpine。彼女が言うには、自分はクロウリーの裁判を見ていたが、あの裁判はイエス・キリストが無実の罪をきせられた時と一緒のような非道い裁判だと感じたというのである。そして、彼女は是非、救世主の子供が欲しいとまで言い放ったのであった。悪い方向とはいえ、有名になると、よく解らない人が近寄ってくる良い例と言えよう。しかし、クロウリーがそれを断るわけがない。
 
(1934年当時のクロウリー)
 クロウリーはそのまま、この少女をお持ち帰りする。結果、クロウリーは、Macalpineとの間に37年5月、男児をもうける事になったのであった。この子供の名はAleister Ataturk。とうとう念願の長男を得たクロウリー。しかし、クロウリーは裁判に負けたすぐ後の35年には、とうとう破産宣言をしてしまっていたのである。また、Macalpineも欲しかったのは、クロウリーの子供であり、クロウリー本人や、その「魔術」には興味を持たなかったようだ。母子はすぐにクロウリーの下を去り、音信不通になってしまう。また、クロウリーも、破産状況で母子に会いに行ける訳もなく、その後も、弟子たちからの金で何とか食いつないだようである。
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