アレイスター・クロウリー伝
(「第四の書」執筆からOTOイギリス支部設立まで)


霊的存在「アブ・ウル・ディズ」

 
 11年の11月クロウリーはパリでMary Desti(以後デスティ)と言う女性と出会う。彼女の魅力に囚われたクロウリーは熱烈なアプローチを行ったようである。最初はクロウリーに肘鉄までくらわしたデスティだったが、結局、二人は一緒に行動をする事になる。スイスに二人で出かけた彼らは、同月21日にホテルに泊まり、共にアルコールを痛飲して麻薬までやったりしたのだった。しかし、そのすぐ後にデスティは奇妙な幻覚を続けて見る事になる。そして、彼女はAb-ul-Diz(以後アブ・ウル・ディズ)という霊的存在が目の前にいるとクロウリーに話したのであった。
 
(Mary Desti)
 初めはクロウリーも、それらを彼女が酒や薬に酔っ払って見た、ただの幻覚と思っていたようである。しかし、不意に彼女から発せられた言葉にクロウリーは驚く事になった。それは「フラター・ペルデュラポのための本があります」というものであったという。この時点では、クロウリーはデスティにはまだ、魔術の事については教えておらず、デスティは魔術については無知同然のはずだった。ましてや、クロウリーがGDにいた頃の魔法名について彼女が知るはずがなかったのだ。
 
 そしてデスティから、本の書名は「Liber ABA」であり、その番号は「4」であるとの言葉を受け取るにあたって、クロウリーは更に驚くことになった。この言葉には、これもデスティが知るはずがない、ゲマトリアという、数字を使った魔術技法の知識が秘められているのが理解されたからである。アブ・ウル・ディズという存在は、デスティの幻覚では無く、確かに一個の霊的存在であると確信したクロウリー。
 
 彼は、この存在を試して見るため、様々な霊的質問をしたのだった。しかし、クロウリーとのやり取りではアブ・ウル・ディズは要領を得ないことばかり話してきたという。そしてその最後に、アブ・ウル・ディズから、また1週間後に教えをもたらすという話が伝えられる事になる。クロウリーは、この霊的存在は完全に信用できる訳では無いと判断。しかし、一週間後に下されるという霊的託宣に期待をこめて、彼はその準備に取り掛かる事にしたのであった。
 
 霊的託宣を得るのにふさわしい場を作るため、ホテルを移ったクロウリー達。彼は、そのアブ・ウル・デイズが次に来ると予告した一週間の間に、デスティに魔術の様々な知識を教え込んだようである。また、この際にクロウリーが用意した魔術道具。そして、デスティが用意した青いアラブのガウンが、たまたま昔、「法の書」を受け取った際に、元妻のローズが持っていたものと一緒だった事に気づいた彼は、霊的託宣への期待を高めるのだった。
 
 きっかり一週間後。用意したテンプルで魔術道具を整え、アブラメリンの香を焚き、準備を整えた彼らは確かに再度アブ・ウル・ディズの訪問を受ける事になる。しかし、この霊的存在は、自分は書を授けるのではなく、自分の役目はクロウリーがLiber ABAを書けるように準備してやることであり、実際にその書を授けるのはデスティになると語ったという。
 
 この時も、クロウリーはアブ・ウル・デイズに様々な霊的質問を発しているが、今回も回答は要領を得ないものが多かったらしい。また、この霊的存在との交流中に、デスティがテンプル内の自分の周りに、雑多な精霊たちが動き回っている事を感じてしまう。こういった魔術的実験の最中に、対象となる霊的存在以外が部屋に存在することは、実験に致命的な悪影響を及ぼしてしまうことが多い。その為、クロウリーはとっさに「541」の数字の力を用い、それらの雑多な精霊達を祓ったそうである。
 
 クロウリー達と、霊的存在アブ・ウル・ディズは、この後も数回の会合を果たす事になる。そして、その最後にアブ・ウル・ディズは、自分はもう現れないが、クロウリーにローマを越えLiber ABAを書くための建物を見つけ、そこで2人してLiber ABAを書くがよいと指示したのであった。クロウリー達は指示されたとおりにイタリアに移る事にする。
 

「第四の書(Liber ABA)」

 
 建物を探すための目印として得られた「2本のクルミの樹が植えられている土地のそば」という幻視を元に、クロウリー達はナポリを車で探索。この時、急にデスティが、何かが閃いたらしく道の途中の横の小さな道に入ってくれと指示したという。このインスピレーションによって入った道の一番奥で、彼らは幻視とよく似たカルダラッツォ荘という建物を見つける事になった。クロウリーは、この別荘の名前をゲマトリアにて変換すると418となる事を見つける。この数字は「アイオンの魔術公式」の意味を持ち、また建物の雰囲気も彼が目指すものに、うってつけのものであったという。
 
(1912年頃のクロウリー)
 そしてクロウリーは、この別荘でLiber ABAを書き始める。その方法は、クロウリーが思いついた事を口述し、デスティがそれを筆記して、もし曖昧な点があったら、もっと詳しい説明をクロウリーに求めるというものであった。当初、Liber ABAの第1部は「神秘主義」と題し、魔術全般を扱う予定であったが、完成した時にはヨーガが中心の内容になっていた。また、第2部は「魔術(Magick)」と題された。クロウリーは、この時、はじめて魔術(Magic)の言葉の最後に”K”の文字を付け、その言葉を自らの魔術体系を指すものとして、一般的なMagicの言葉で示されるものと区別するようになったという。この第2部の内容は最終的に、魔術の武器や道具の説明に関するものになった。
 
 ここまでLiber ABAを書き上げた彼らだったが、しかし結局、Liber ABAの執筆は、第2の書が完成したところで中止されてしまう。その理由としては、クロウリーとデスティが喧嘩。直後にデスティが良い人を見つけ、クロウリーの元から逃げ出した為という、何とも情けないものであった。

OTOの新団体設立

 
 12年、クロウリーは「The Book of Lies(虚言の書)」という書籍を出版する。しかし、これは思わぬハプニングを引き起こす事となった。先にも少し触れたOTOという団体の首領であるドイツのオカルティスト、Theodor Reuss(セオドア・ロイス。以後ロイス)が、この「虚言の書」の内容を読み、クロウリーの元へと怒鳴り込みに来たのだ。クロウリーに会ったロイスは「何故、我が団の高等秘密教義を書いた書籍を出版した?」とクロウリーを激しい調子で非難したという。
 
 最初は訳が解らなかったクロウリー。彼は以前OTOから名前だけの入団証は受領していたが、実際にはその団体での位置は下層にあり、OTOの高等秘密を知るような位階には無いと反論。これを受けたロイスは、虚偽の書の一部分を指し、そこに、団の高等秘密が書かれてあると指摘したという。しかし、その箇所を見たクロウリーは、OTOという組織が持っていた「性魔術の秘密教義」を理解してしまったのだった。
 
 話を進めたロイスもやがて、クロウリーが偶然OTOの秘密を見つけた事を認める事になる。クロウリーの実力を讃えたロイスは、彼にOTOの高位階を贈り、さらに、OTOのイギリス支部を設立する許可までも与えたのだった。早速、クロウリーはロイスの本拠地であるベルリンまで行き、新しい団体設立のためにOTOの高等教義文書を学習。それらを元に、彼は自らの教えに沿ったOTOのイギリスの新たな支部団体「Mysteria Mystica Maxima(M∴M∴M∴)」の設立を行ったのだった。クロウリーが、この時選んだOTOでの魔法名は「バフォメット」であったという。
 
(OTOの正装をしたクロウリー)
 クロウリーは、この団を設立するに際して宣言書を用意した。その中には、この団の特色として「聖なる知識の宝庫に近づく事が出来る」「自由・美・調和、そして愛を基にした宇宙の生の流れに従い」「万能なる薬の作り方と用い方の知識が授けられる」「この結社は完全なる安らぎの組織となる」といった美辞麗句が並べられていた。しかし、よく読むと、そういった言葉の中に「高位階の安からぬ会費」といった険呑な言葉も含まれていたのだった。この時期、彼は相当、金に困っていたのであり、この団体を自分の金づるにしようとしていたフシが伺える。
 
 OTOからは話が変わるが、この時期のクロウリーの有名な逸話にこういうものもある。オスカー・ワイルド。有名な19世紀末文学の旗手だが、彼の死後にその偉業を記念して、その墓に全裸の男性像が建てられる事となった。しかし、当局は公序良俗の名目で、その男性像の陰部に青銅製のバタフライを強制的につけさせたのである。この当局の権力濫用にクロウリーが義憤にかられたという。バタフライを盗み出した彼は、そのバタフライをズボンの上から自らの陰部に飾り、近くの喫茶店に堂々と入店。居合わせた客達は、その意味を理解し拍手喝采したという。彼のブラック・ユーモアの有名な一例と言えよう。
 
 13年の3月、クロウリーはワッデルをリーダーとした女性のヴァイオリニストグループを設立。ロンドンで演奏会を行い、好評を博す。続けてモスクワでも6週間に渡って演奏会を行った彼は、その間に「Hymn to Pan」や「Gnostic Mass」などの重要文書を執筆している。これらは後のOTOの礼拝儀式でも核となるものとなった。同年9月にはイクイノックス誌の第10号を発行。これをもって、イクイノックス誌は第1期刊行の終了となった。
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