アレイスター・クロウリー伝
(メイザースとの魔術戦からA∴A∴の設立。ノイバーグとの出会いまで)


メイザースとの魔術戦

 
(法の書のオリジナル)
 聖守護天使からクロウリーに託された「法の書」。しかし、その内容はあまりにも難解であった。彼は晩年になっても、まだ自分自身、「法の書」を完全には理解出来ていない事を認めている。また、「法の書」伝授後、彼はすぐさま様々な知り合いのオカルティスト達に、その授けられた「法の書」の内容と「自分こそが新時代の預言者である」(オカルト界的に捉えれば、要は世界で一番俺が偉くなったのだ、という意味)といった文書を送りつけたようだ。彼が、この「法の書」伝授の意味をどのように捉えたかが、よく解るエピソードであると言えよう。そして、この「法の書」伝授こそがクロウリーの後の人生を決め、クロウリーをクロウリーたらしめた原因であり、ある意味別の見方をすれば、クロウリーの社会的人生を破滅させた原因であったともいえよう。
 
 クロウリーから意味不明の文書を送りつけられたオカルティスト達はもちろん、あらかた無視したようである。また、クロウリーはメイザースにも、同様の手紙を送りつけたらしいが、その中で彼は事もあろうに「法の書」を伝授された自分こそが、GDの首領にふさわしいと伝えたらしい。メイザースからは何の返信も来なかったが、しかし、それは後に続く怪事の幕開けとなるのだった。
 
 新婚旅行を終え、ボレスキン館に夫婦で帰ったクロウリー達。愛しの我が家で一息ついた彼は、魔術研究を再開したのだが、その後、身辺を様々な狂気が襲う事になったのだ。最初はクロウリーの飼っていた大型猟犬が何匹も連続して死ぬ事からはじまった。また、彼が雇っていた使用人達も続々と病気になり辞めていったという。そして、ある日、家で働いていた作業人がいきなり気が狂い、身重のローズに襲いかかった。これを危機一髪のところで救ったクロウリー。
 
 しかし、彼は自分の身の回りに度重なる不穏な出来事の原因を考える事になる。そして、クロウリーは、これらの不運を全て、自分が新時代の預言者になった事に嫉妬した、旧師メイザースからの魔術攻撃だと考えたのだ。身重のローズを抱えて、魔術的な防御を行おうと計画するクロウリー。しかし、彼は重要な事に気がつく。それは、メイザースこそ、魔術界でも最強と言われる「アブラメリン」の魔術書を訳して、世間に知らしめた当人であるということだった。
 
 もし、メイザースが使っている魔術がアブラメリンだったら、並の魔術防御法では歯が立たない。そこで、クロウリーは同じアブラメリンの魔術を使用し、ベルゼブブと49人の従者による「復讐」の魔術を実施したという。この魔術の直後には、ローズがベルゼブブと、その従者達の存在を霊視するというハプニングが起きている。実際、魔術は成功したようであった。その後、クロウリーの周りからは不運は消え去ったのである。
 
 以上が後の魔術界で有名になった魔術戦の顛末である。クロウリーはこう言っているが、しかし、メイザースが黒魔術を本当にクロウリーに行ったかどうかは、結局、メイザース側からの証言が何も出なかったので不明のままである。猟犬が続けて死んだのもクロウリーの飼い方が悪かったのかも知れない。また、使用人が病気になったというのも彼が不当に使用人をこき使ったからかも知れない。要は結局クロウリーのただの一人相撲の可能性も大いにあり得るのだ。

娘の誕生

 
 04年7月28日、クロウリーとローズの間に最初の娘が生まれることとなる。彼女の名前はクロウリーによって、「Nuit Ma Ahathoor Hecate Sappho Jezebel Liilith」と名付けられる。あまりにも長い名前のため、この子は基本的にはLilith(リリス)と呼ばれる。また、クロウリーは産後のローズに自作の詩を送り、そして自分の詩集を販売する出版社まで立ち上げたのだった。しかし、彼の最初の詩集は話題にはなったが、あまり売れなかったようである。
 
 そこで、クロウリーは自分の詩集の販売のテコ入れを行おうと一計を思いつく。それは、彼の作品について最も良い評論を書いたものに100ポンドの賞金を与えるというコンテストを開こうというものだった。このイベントは実際に開かれ、その1位となったのが、イギリスの軍人でありオカルティストでもある、J.F.C.Fuller(以後フラー)が書いた「The Star in the West」であった。しかし、1位とはいっても実際問題、このコンテストに応募してきたのはフラー1人だけであった為、クロウリーは機嫌をそこねたらしい。結局、フラーへの100ポンドは支払われなかった模様である。
 

カンチェンジュンガ挑戦

 
 05年クロウリーの下へ、以前、K2登山隊で一緒だったJacot Guillarmod(以後ギラーモッド)という人物が訪れる。このギラーモッドの目的は、今度、難峰として知られる世界第3位の高さのヒマラヤのカンチェンジュンガ登頂を行うため、その登山隊の仲間としてクロウリーを誘いに来たものであった。ただ、この人物はからかわれやすい性格だった模様である。この時、クロウリーは「ハギス」と呼ぶ危険な野羊の話をでっちあげて、この人物を散々からかったという話が伝わっているのだ。
 
 結局、カンチェンジュンガ登山の誘いには、自らを隊長にするのならと条件をつけて了承したクロウリー。もちろんエッケンシュタインにも、この時、登山の誘いが行ったらしい。しかし、クロウリーの事をよく知るエッケンシュタインは、この話を断る。エッケンシュタインとしては、クロウリーが登山隊の「隊長」など論外だと考えたらしい。結局、その年の8月、クロウリー登山隊はエッケンシュタイン不在のまま、カンチェンジュンガ登頂を開始する。
 
 しかし、エッケンシュタインの心配通り、クロウリーはこの登山に際して隊長の身分を乱用して色々考えられないことをした模様である。雇ったポーターに過酷な労働を強いたり、登山の途中に仲違いした登山隊の仲間が事故にあっても、すぐ助けに行ける状況なのにもかかわらず見殺しにして死亡させるなどまでしたらしい。クロウリー隊長の下、散々な目に会った登山隊は結局、登頂を断念したのであった。また、クロウリーは仲違いしたとはいえ、登山隊の仲間を見殺しにするという、登山家として一番やってはならないことをやってしまった為、これ以後、彼は登山家達の間からも強い非難を受けることになったのだった。
 
 結局、カンチェンジュンガ登頂を断念したクロウリーは、山を降り、その近くでネパール娘を引っ掛けて浮気を楽しんだそうである。また、カルカッタの市内でバザーに行こうとした時には、盗賊達に襲われながらも、彼らから逃げるときに再度自らの姿を消す魔術を成功させたとも語っている。同年10月29日には、妻ローズがリリスを連れて彼の下へとやってきた。はるばる愛しの旦那に会いに来たのである。その為、クロウリーは家族で、中国南部を旅行することにする。阿片を吸いながらのんびり旅して回ったクロウリーは、その旅の間も魔術作業を欠かさなかったという。特に彼の聖守護天使を頻繁に召喚し続けたらしい。
 

長女の死と離婚

 
 06年4月。ローズ達はヨーロッパに帰ろうとする。しかし、クロウリーは家族の行く方向とは別の方角、上海へと向かったのだった。実は、GD団時代の愛人と会うためであった模様である。彼は同年、4月24日には日本の神戸にも訪れ、この時に興味深い幻視を体験。その時の内容から「銀の星」という言葉を得ている。この言葉は後にクロウリーが設立する団の名前となるものであった。その後も世界各地を旅して回ったクロウリー。しかし、彼はイギリスへ帰国した時に母からの手紙で衝撃の報告を受ける。彼が、ローズ達と別れた後の5月に、東南アジアのラングーンで愛娘リリスが腸チフスで亡くなってしまっていたというのだ。
 
(クロウリーとローズとローラ・ザザ)
 悲しみの衝撃に打ちのめされたクロウリー。しかも、この時、クロウリーはローズがアルコール中毒になっていた事に気付く(実は、クロウリーと結婚する前から、彼女にはアル中の気があった模様である)。そこで、クロウリーは考えた。娘がラングーンで死んだのはローズが衛生状況の悪い当地で、酔っ払って哺乳瓶の消毒を怠ったからである、と。
 
 人を責める事については、特に積極的になるクロウリーである。その後、ローズはずっと子供の事で責め続けられることになったのだった。また、彼はローズがアル中で子供を死なせてしまったのは、そのローズを育てた母親にも責任があると考えたらしい。ローズの母親と話して機嫌を損ねたクロウリーは、年老いた彼女を階段の上から蹴り落として制裁を加えてやったという。
 
 クロウリーに責められ続けたローズは悲嘆に暮れ、ますますアルコール中毒が進む。また、家にいても面白くないクロウリーは、女遊びが悪化。そんな2人の間でも07年2月に二人目の娘、Lola Zaza(ローラ・ザザ)が生まれる。しかし、結局、二人の仲は修復不可能なものとなり、09年11月24日、ついに二人は離婚。離婚の公的理由はクロウリーの浮気によるものとなり、ローラ・ザザの親権はローズのものとなった。その為、クロウリーはローズに対して、養育費を払い続ける事になる。ちなみに、このクロウリーの次女であるローラ・ザザは成人後、父とは縁を切りイギリスで普通に生活し、1990年に亡くなったとのことである。

A∴A∴設立

 
 クロウリーにとって、この時期の家庭状況は最悪だったが、逆に魔術の研究に関しては充実した日々を過ごしたようである(現実逃避していただけでは?という説もあるが)。この時期のクロウリーの魔術修行の特筆するべき事柄としては、ジョーンズの助けを得ながら、まず、アブラメリンの修行を07年の9月まで集中して行ったことが挙げられるだろう。また、10月から11月にかけてヨーガの重要な段階である「サマーディ」の段階を達成したともいう。この経験は彼にとって、神との統合を体験し、彼の魔術人生における一大転換の経験になったとされる。また、この時期の彼は、様々な魔術的重要文書を集中して執筆している。
 
(A∴A∴の標章https://en.wikipedia.org/
wiki/A%E2%88%B4A%E2%88%B4より)
 そして同年11月、クロウリーはジョーンズに自らの理想の魔術団体を設立しようと考えていることを打ち明ける。ジョーンズはそれに同意し、ジョーンズの助けを得てクロウリーは、ロンドンのヴィクトリア通り124にテンプルと本部を構えた魔術団体「銀の星(Argenteum Astrum。以後A∴A∴)」を設立したのだった。この団体は位階構成などGDをいろいろと参考にはしていたが、実際の運用形態や教義はGDとは大きく異なっていた。
 
 まず、大きな違いの一つとして団員の教育方法が師匠と弟子の一対一形式であり、基本的には団員は師匠以外の団員と交流する事は無かった事が挙げられるだろう。これは過去のGDにおいて、ロンドン・メンバーが集団になって首領メイザースに反乱を起した件への反省を踏まえたようである。また、肝心の教義内容も大幅に東洋のヨーガなどが取り入れられ、その中核を為すのはセレマの教えになっており、かなりGDとは異なっていたのであった。
 
 クロウリーとジョーンズの2人で立ち上げたA∴A∴だったが、しかし、ジョーンズは、この団体のための表立った活動はあまり行なわなかったようである。その為、A∴A∴は実質的にクロウリーの一人運営の団体になった。しかし、この団体には当時の有力なオカルティストが何人も出入りすることになる。初期のメンバーにはフラーや、後にオカルト界で有名になったAustin Osman Spareも弟子として名を連ねたという。
 
 この時期、クロウリーは父の遺産もかなり減ってきていることを痛感していた。働きもせずに贅沢な生活をし、各地を旅行したり、そして愛しの娘のための養育費も払うことになったのだから、当然と言えるだろう。そこで、金を稼ぐ必要性を理解した彼であったが、しかし、「新時代の預言者」である彼が、誰かの下で働くという事など、まっぴら御免であった。
 
 そこで、クロウリーはオカルトの家庭教師に手を出そうと考える。フラーに、その友人Victor Neuburg(ヴィクター・ノイバーグ。以後ノイバーグ)が弟子として適していると紹介してもらった彼は、実際にノイバーグと会うことになる。元々、オカルトにかなり興味を持っていたノイバーグはクロウリーの深いオカルト知識と、その思想にたちまち心酔。また、クロウリーもノイバーグに優れた霊媒資質(および、裕福な家庭環境による、優れた金づるとしての資質)を見出し、このノイバーグは後にクロウリーの重要なパートナーの役割を果たす事になるのだった。
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