アレイスター・クロウリー伝
(誕生からGD団入団まで)


クロウリーの誕生と家庭環境

 
 クロウリーは1875年10月12日深夜、イギリスのWarwickshire、Leamington Spaにて生まれた。両親によって最初に名付けられた名前はEdward Alexander Crowley。愛称はAlickであった(Aleisterの名は成人した時に自らでつけた名である)。父はEdward Crowley。この父は家業のビール酒造業で儲け、息子が生まれる頃にはもう働いていなかったらしい。母はEmily Bertha Bishop。両親ともキリスト教の中でも特に厳格なPlymouth Brethren(プリマス・ブレスレン)という宗派の教徒であり、特に父親の方はあちこち旅行して布教してまわるほどの熱心さであったという。このプリマス・ブレスレンは極端な原理主義であり、聖書の一字一句が真実。この宗派以外は、全て最終的に地獄へ落ちると言った徹底した考え方であった。クロウリーは生涯に渡りキリスト教を憎悪していたが、それは、この家庭の宗派への反発心から来ていたとよく言われる。
 
 そういった家庭でも、クロウリーは父親の事を非常に尊敬していたらしい。彼が50代の頃に執筆した自伝「The Confessions of Aleister Crowley(以下、「告白」と略す)」では父の事を「我が英雄であり、我が友であった」と記している。しかし、母親とは仲が悪く、特に反抗期以後は非常に嫌われていたらしい。その母はクロウリーの事を憎しみを込めて、黙示録に出てくる「the Beast(獣)」と、呼んだという。しかし、この蔑称は、後にクロウリー本人が気に入って使う事になる。
 

クロウリーの少年時代

 
 80年2月29日。クロウリーに妹が生まれる。しかし、彼女は生まれてすぐに亡くなってしまう。この事件は彼にも、その一家にも衝撃を与えたらしい。81年、彼の家族はSurreyのRedhillに移り住む事になる。クロウリー8歳の時、彼は家の宗派の寄宿小学校に入学させられる。幼い頃のクロウリーは頭は良いが、かなりのやんちゃっ子だったという話が伝わっている。彼はまた、この当時から自分は貴族かマスターとして、特権的な立場にあると思い込んでいたとも「告白」に記している。クロウリーはそう言っているが、現実的にはその頃の年齢の多くの子供は、自分の事を同様に思っているだろう。ただ、クロウリーが特殊なのは、彼はその考えを一生変えなかったという事が言えるであろう。
 
(クロウリー少年時代)
 彼の性格形成には、実家が裕福だったという事も影響大であり、「告白」には、自分が子供の頃に「私は全ての贅沢を期待するように教えられてきた」とも記している。クロウリーのこれらの考え方は死ぬまで変わらなかったようであり、彼は、その生涯で誰かの下で労働するという事は殆ど行わなかった。生活のための費用は親の遺産が尽きた後は、彼にとっての下層階級、つまり、弟子や女から巻き上げた金で賄う事になる。
 
 クロウリー11歳の87年3月5日、父が舌ガンで死去。父が死んだ時、クロウリーは遠く離れた寄宿舎にいて、父が死んだことを知る事は出来なかったのだが、同日の晩に父が死ぬ夢を見たそうである。クロウリーには、幼い頃からサイキックな資質が備わっていたことを示す出来事であるといえよう。この資質は彼の後の魔術研究でも大きな役割を果たすことになる。彼の魔術体系の根幹の多くが、霊的存在から伝えられたものによって成り立っているのだ。
 
 夫に先立たれ、一人になってしまったクロウリーの母親は、その兄のTom Bond(トム・ボンド。以後、トム伯父)が住んでいるロンドンへと引っ越す事になる。このトム伯父も、熱心なクリスチャンであった為、クロウリーは彼を非常に嫌ったようだ。後には、この伯父のことを「不実で偽善的」と評している。また、尊敬していた父の死後、クロウリーの素行は荒れるようになり、何につけても反抗的な態度、懐疑主義的なものの見方をするようになった。また、クロウリーの学校自体も異常な宗教的虐待が日常化していたらしい。その教育者に目をつけられた彼は数ヶ月間にわたって、宗教的教育という名の激しい虐待を受ける。とうとう彼は体調を崩してしまい、見かねた家族(母であるという説と、伯父であるという説もある)によって退学させられる。
 
 しかし、しばらくはクロウリーの体調は回復せず、21歳になるまで生きられないだろうと医者に言われてしまったらしい。退学後の続く数年間、彼は学校に入らずに、実家で家庭教師によって教育を受ける事になったのだ。しかし、その人選はトム伯父に任されることになった為、家庭教師達は皆、信心深いクリスチャンという状態になってしまう。もちろん、クロウリーは彼らを伯父と同様の偽善者達としか思えず、様々な方法で、家庭教師達をさっさと追い出してしまった。
 
 クロウリー14歳のこの時期、彼はある「実験」をしたという。世間では猫には9つの命があるという伝説があるが、それが本当かどうかを確かめようとしたのだ。まず野良猫を捕まえてきた彼は、その猫に砒素を大量に飲ませクロロフォルムを嗅がせた。次にガス火の上に吊るし、刺したり、咽喉を切ったり、頭部を打ち割ったりして、猫が完全に焼けると、今度は水で溺れさせ、最後に窓から放り投げたという。後に彼は「告白」で「この実験は成功した」「猫には、すまない事をしたが、私は純粋に科学的興味から行ったのだ」と語っているが、この時期の彼の精神状態が解る一件であろう。
 

ダグラスとの出会い

 
 しかし、そんな彼にも転機が訪れる。91年、Archibald Charles Douglas(アーチボルト・ダグラス。以後ダグラス)という男が、トム伯父によってクロウリーの家庭教師として選ばれる事になる。しかし、この時はトム伯父も人選を誤ったらしい。このダグラスは、クリスチャンではあるが、かなりの俗物(まともな人物とも言う)だった模様で、クロウリーは彼に様々な遊び、酒、煙草、ビリヤード、賭け事、そして女遊びを教えられたのだ。クロウリーは、この時こそ、自分の人生を抑圧していたキリスト教の悪夢から、解放された時だったとしている。そして、ダグラスの事を非常に尊敬した模様であるが、トム伯父も状況に気がついたらしく、この家庭教師を解雇してしまう。
 
 しかし彼は、この時「我が眼は開いた。私は善と悪を知る神になったのだ」と感じ、自分の置かれている状況を、よく理解するようになったらしい。クロウリーは自らを抑圧するキリスト教とその家庭へ、猛然と反旗を翻したのだ。ある時、彼の母親のベッドルームを使って、その家の女中に対して「魔術的征服を果たした(要は性行為に及んだ)」とも「告白」に書き残している。
 
 やがて体力も取り戻したクロウリーは、その後、何回か入学と退学を繰り返しながら、身長190センチ近く、体重も80キロ弱とかなりの大男に成長する。94年秋にはキングス・カレッジに入学。父親の遺産を受け継いだ彼は、名前をEdwardからAleisterに改名。そして、95年10月にケンブリッジに転校。この大学で彼は心理学や古典学の方向を目指す事にしたのだった。

ケンブリッジ時代

 
(ケンブリッジ時代のクロウリー)
 ケンブリッジの自由な校風の中でクロウリーは、かなり奔放に羽をのばしたようだ。彼は、この時のことを「長い間、水の下に潜っていて、ようやく水面に顔を出して大きく息をしたときのよう」だったと記している。また、父の莫大な遺産を受け継ぎ、しかも、かなりの美男子で、喧嘩も強くロマンティストでもあったクロウリーは、非常に女性にモテたようである。放蕩三昧の生活をした彼だったが、しかし、詩作やチェス、登山などに非凡な才能を見出し、そちらの世界でも名を知られる事になる。彼のこの時期の夢は、詩人として身を立てる事だったとの話もある。
 
 ケンブリッジでは、多くの女性達と関係を結んだクロウリーだったが、後に「告白」で、この頃つきあった、どの女性も人間としてはもの足りぬものであり、「知的には彼女らは存在していなかった」「それらの事実にも私は挫けはしなかった。それどころか、性関係の相手が動物でしかないというのは、とても便利なのだったのだ」としている。また、それらの女性は男性の生理的欲求を満たすものでしかなく、「毎晩、裏口に配達される牛乳のようなもの」と社会が彼に定期的に支給してきて然るべきものと、彼の女性観を語っている。
 
 この時期、クロウリーは初の男色も経験する。当時のイギリスの風俗文化的には、男性が女性を愛する事は動物的本能として当然であり、男性が男性を愛する事こそが、真の「知的な愛」だという傾向があったらしい。しかし、その時に彼は大きな神秘的法悦を経験したようだ。それらの体験を経て、彼はオカルトの事柄にも興味を持つようになったのだった。
 

オカルトへの興味

 
 ヘルメス学や錬金術などの書物を読み漁るようになったクロウリーは、家庭環境への憎しみから必然的に反キリスト教、黒魔術にも興味を持つ。「告白」では、この頃、彼が反キリスト教として目指したものを「私の第一歩は悪魔と個人的に交流できるようになる事だったのだ」とし、そこで「私は黒魔術に自分を捧げることにした」と語っている。何か良い本は無いものかと、書店に行った彼はArthur Edward Waite(A・E・ウェイト。以後ウェイトと略す)の「The Book of Black Magic and of Pacts(黒魔術と契約の書)」を見つける。
 
 これこそ、まさしく探していた本と思ったクロウリーは、早速購入し、家に帰って読んで見た。しかし、彼はその内容に非常に落胆する事になる。この本の中身は地中に埋められた宝を見つけたり、隣の農家で飼っている牛に呪いをかけたりするなどの、古い魔道書に載っているような内容が多く、彼が求めていたような、悪魔崇拝による「悪の美学」を追求するといった本では無かったのだ。
 
 しかし、この本の中にも、クロウリーは興味を惹かれる箇所を見つける。それは、「真の秘儀」を持つ「隠れた教会」というものについての示唆だった。その頃、彼は同様に秘教的知識を研究するという「ケルト教会」という団体に入団していた。しかし、その団体がただの同好会的なものだった事に失望していた彼は、この記述に非常に惹かれたのである。
 
 クロウリーはもしかすると、ウェイトという人物は「教会」について何か知っているのではないか?と考え、問い合わせの手紙を書く。その後、ウェイトから返ってきた手紙には、Councillor von Eckartshausenの「The Cloud upon the Sanctuary」という書を読めといった内容が書かれていた。その書には、確かに秘儀を持つ秘密結社についての事が書かれており、クロウリーはその本を何度も何度も読み、黒魔術や悪魔崇拝よりも、そういった秘密結社に入りたいと、強く願うようになったようである。

出会い

 
 この時期、クロウリーは休暇ごとにアルプスなどの山に登山に行っていた。そこで彼は20歳年上のOscar Eckenstein(オスカー・エッケンシュタイン。以後、エッケンシュタインと略す)という登山家と知り合っている。エッケンシュタインは当時の登山家の間でも有名な人物であり、科学者でもあった彼は近代的な卓越した登山の知識と技術を持っていた。クロウリーは彼に登山技術について多くを教わる事になる。早くに父を亡くしたクロウリーは、エッケンシュタインに理想の父親像を投影していたという話もある。
 
 また、この時期、クロウリーは10歳年上のHerbert Charles Jerome Pollitt(ハーバート・ポリット。以後ポリット)と知り合っているが、彼はそのポリットと「我が人生で初の緊密な友情関係が打ち建てられた」と「告白」に記している。しかし、そのすぐ後に「イギリスでは、そのような理念は肉体的な情熱と結び付けて語られる」と記しており、それは同性愛の仲だったことを匂わせている。
 
 秘教への道を諦めきれなかったクロウリーは、依然、理想の団体に到達できない自らに嘆きを感じていた。98年のイースターの間、彼はWastdale Headという地で、自らを達人たちの仲間に加えてもらえるように秘密の首領に、SOSの強い祈りを送ったそうである。しかし、秘密の首領から反応はなく、その後もメイザースの「ヴェールを脱いだカバラ」などの秘教関係書籍を読み、研究を続けた彼は、やがて自分が独力で、とても高いレベルに達したものと思い込むようになってしまう。
 
 同年夏、健康の優れなかったクロウリーはスイスのZermattに休養に出かける。ある晩、その地のビアホールでイギリス人の団体達と意気投合した彼は、錬金術についての知識を自慢し高説をふるう。しかし、運命は不意打ちをくらわせる。彼らが解散した後、ホテルに帰ったクロウリーの下にパーティーの一人、Julian.L.Baker(ジュリアン・ベーカー。以後ベーカー)という人物が訪れ、クロウリー以上の錬金術についての知識を教示したのだ。
 
 彼とのやり取りでクロウリーは、自分よりも遥か上の「達人」がいるという事を思い知らされる。衝撃を受けたクロウリー。彼は、これこそ間違いなく、先日送った自分のSOSが認められたと考える。また、ベーカーこそ秘教の達人、あるいはベーカーを通して秘教の達人たちへの道が眼前に開かれたものであると捉えたクロウリーは、翌朝、ベーカーの部屋を訪ねる。しかし、その時にはベーカーは、ホテルから姿を消してしまっていたのだった。
 

黄金の夜明け団への入団

 
 運命に翻弄されるクロウリー。彼はあちこちを探し回り、ようやくベーカーを捕まえ、自らの魔術への熱い思いをぶつけたのだった。すると、ベーカーは自分以上の、さらに優れた知識を持つ魔術師を紹介しようというのだ。その人物の名前はGeorge Cecil Jones(ジョージ・セシル・ジョーンズ。以後ジョーンズ)。その後、実際にジョーンズと出会ったクロウリーは、ジョーンズやベーカーが所属する、秘教を研究する団体「Hermetic Order of the Golden Dawn(ヘルメティック・オーダー・オブ・ザ・ゴールデン・ドーン。以後GD団)」の存在を知らされる。
 
 クロウリーは、その団こそ、自らが長年探し求めた運命の団体と考え、すぐさまジョーンズに入団を志願。98年11月18日の夕刻、ロンドンのマーク・メイソン・ホールにて、入団儀式を行う事になる。この頃のクロウリーの真摯さを示す話として、彼はベーカーに、この恐ろしい入団儀式に失敗して、今までで何人ぐらいの人が死んだのか?といった事を聞いたりもしたと「告白」に記している。そしてGD団への入団を果たしたクロウリーの最初の魔法名は”ペルデュラボー(Perdurabo)”「われ、耐え忍ばん」であった。
次を読む
戻る