「黄金の夜明け」・各支部。


 黄金の夜明け団は結社というその性質上、幾つかの支部(テンプル)を各地に生み出している。ここでは、それらの支部について簡単ながら紹介していきたい。

No.1 リヒト・リーベ・レーベン


 フローレン・シュプレンゲルが1808年から創設したドイツにあるとされるGD団の本家的テンプル。ウェストコットによると、開放されたロッジで儀式は行わず、主として2・3人の立ち会いの下に位階を授与するだけという、隠れたテンプルとされる。しかし、実はこのテンプルはウェストコットがドイツのメーソン・ロッジを元に勝手に作った、架空のテンプルだったらしい。
 

No.2 ヘルマニュビス


 ホックリー、マッケンジーにより1883年8月ロンドンに創設されたとされるテンプル。No.1と同じく、実はウェストコットによりカバラ大学などを元に勝手に作られた架空のテンプルだと考えられている。
 

No.3 イシス・ウラニア

(1888年3月1日許可、3月20日聖別)
 最初の実質的なGD団の中心テンプル。ウェストコット・メイザース・ウッドマンの3人によって始められた。
 

No.4 オシリス

(1888年10月8日許可、1889年4月16日聖別)
 GD団の初期の参入者、ベンジャミン・コックスによって始められた、最初のGD支部テンプル。場所はウェストン=スパーメア。結局、あまり人数が集まらず、1895年コックスの死とともに活動を終える。
 

No.5 ホルス

(1888年10月10日許可、10月19日聖別)
 T・H・パッティンソンによって始められた支部テンプル。場所はブラッドフォード。後にマスターメーソンのみを入団対象とするようになる。1902年、その活動を終える。
 

No.6 アメン・ラー

(1893年6月8日許可、12月19日聖別)
 J・W・ブロッディ・イネス夫妻が創立、中心となって活動した支部テンプル。場所はエジンバラに作られた。メンバーにはR・W・フェルキンやカーネギー・ディックソン父子の名も見られる。1901年、ホロス事件により一時活動を中止してしまうが、1910年12月ブロッディ・イネスにより再開。
 

No.7 アハトゥール

(1893年12月3日許可、1894年1月6日)
 メイザースがパリに移住後、作った支部テンプル。彼の死と共に、活動を終える。

GDサブ・グループ

 

スフィア・グループ No.1

(1898年)
 フローレンス・ファーによりGD団内部に秘密裏に結成されたグループ。エジプトのアデプトの図像を軸に活動、1901年ファーとアニー・ホーニマンの対立によりその活動が明るみに出る。この辺の経緯はGD歴史1を参照。1901年、団公認となりその活動を変える。
 

スフィア・グループ No.2

(1901年)
 1901年、晴れて団公認となった内部グループ。同じくフローレンス・ファーが中心的人物となる。聖杯のイメージを用いた活動を主に行なった。1902年、ホロス事件とともにその活動を終える。

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