暗号文書の由来


 先のページで書いたように秘密の首領SDA(フローレン・シュプレンゲル)という存在は、ほぼ確実に架空のものだったとされてしまった訳だが、しかし「暗号文書」の方は、ウェストコットがその作成に関わったわけではなく、実際にGD団創設よりも前に、何者かが何らかの秘密の知識を伝える為に書いたものであるとの見方が有力である。ちなみに、この文書の内容は現在では公開されており、ネットでも次のサイトでほぼ見る事ができる。
 
hermetic.comThe Cipher Manuscript
 
 上記サイトの暗号文書は、こちらの手持ちの書籍と比べると幾らか抜けがある。もし、より完全を期したいと言う学徒がいる場合は、書籍にあたると良いだろう。現在、暗号文書を収録している書籍は幾つかあるが、当HPとしてはDarcy Kuntzの「Complete Golden Dawn Cipher Manuscript」が良いかと思われる。
 この暗号文書の由来はいろいろと説はあるが、今でも確証は掴めていない。ただ、有力な説はあるので、こちらではその説の紹介も兼ねて、他の様々な関連知識も紹介しておこう。まず、暗号文書の関係者だったとされるSDAからウェストコットに宛てた手紙には、暗号文書はエリファス・レヴィの手から失われ、後に2人の英国人(ウェストコットはこの2人をケネス・マッケンジーとフレデリック・ホックリーだったと主張している)に渡り「黄金の夜明け」団のNo.2支部「ヘルマニュビス」を創設するのに用いられたとされている。しかし、SDA自体がウェストコットの捏造だとされている為、信憑性は薄い。
 
 一説にはその文書は、遥か古代から伝わってきた秘密知識であるとの話もある。しかし、暗号文書の原本は1806年を示す「透かし」が入ったコットン紙に書かれていたとの事なので、その年から前に作成されたものでない事は確かだろう。また、文書は暗号で記されてはいるが、解読された内容は英語なので、英語を母国語とするものが書いたと考えられている。そして、文中にはエジプトの古文書からの引用があるのだが、ロゼッタ・ストーンによってシャンポリオンがヒエログリフの解読に成功し、エジプトの様々な古文書の意味が英国に紹介されだしたのが1860年頃からである為、それ以後に内容が作成されたとの見方が現実的である。
 
 この文書がどうやって発見されたのかも諸説ある。ウッドフォード牧師が古本屋で作者不明の暗号文書を偶然見つけ、ウェストコットへ渡したという話とか、オカルティストとして有名なフレデリック・ホックリーの残した文書群をウッドフォード牧師が譲り受けウェストコットへ渡した。あるいは、同じく有名なケネス・マッケンジーの自宅の棚に残っていたものをマッケンジー未亡人からウェストコットが譲り受けた等。そして、これらの話の要素が入れ替わった様々なヴァリエーションの話がある。
 
 この説のうち、ウェストコット自身はウッドフォード牧師が古本屋で見つけた文書であるとする話をよくしていたようだが、この時代に出版されていた有名なオカルト小説「ザノーニ」にも似たような話が載っているので、これはウェストコットがそこからでっちあげた話であるとする見方が有力である。また、ウッドフォード牧師は文書をウェストコットに渡したとしても、文書の作成に関与してない事は現在、ほぼ確実視されている。
 
 残るはマッケンジーかホックリーのルートから暗号文書が流れて来た説である。時代的にみても、この2人のどちらか。あるいは、この2人は八人会の仲間である為、両者が作成に関与したのでは無いかという推測がされるだろう。そこで改めて暗号文書の内容を見てみると、その中身は西欧秘教伝統や薔薇十字、メーソン的な儀礼、知識、天使召喚の知識であるエノク語などが暗号化されて書かれている。マッケンジーとホックリーは共に当時の有名なオカルティストであったが、得意とする分野が違っており、マッケンジーはメーソンや薔薇十字、暗号の知識、そして、ホックリーは水晶球による透視術、天使召喚などが得意分野であった。
 
 これらの事柄から暗号文書の主たる作者はマッケンジーであり、ホックリーも作成に関与。あるいは、少なくとも何らかの助力はしたのでは無いかと見られている。その文書がマッケンジーの存命中にホックリーへ、あるいはマッケンジーの死後、マッケンジー未亡人、ウッドフォード牧師のルートなどを通して、ウェストコットへ渡ったとする説が、現在では有力であるとされているのだ。
 以上、暗号文書の由来について、現在、有力視されている説を紹介した訳だが、研究家の間では他にも様々な話が出ている。いずれも確実な証拠が無いため、憶測に過ぎないものなのだが、参考の為に幾つか挙げておこう。
 
・ドイツには「黄金薔薇十字」と呼ばれる団が存在していた。1810年にはロンドンにもその支部が出来ていたと言う。SRIAの位階制度も、この団体に倣っているとされているのは有名な話である。そして、マッケンジーはその黄金薔薇十字団メンバーであり、その団員によって秘儀参入を受けたとされる。暗号文書はそこから得た教義を元に、マッケンジーによって書かれたとする説。
・暗号文書はマッケンジーによって書かれたのではなく、もっと古くから存在するという説。この説では19世紀初頭に活躍したフランシス・バレット、19世紀半ばに活躍したエリファス・レヴィなどを通して暗号文書がマッケンジーに引き継がれたとされている。
・オカルト小説「ザノーニ」の筆者であり、SRIAのパトロンでもあったブルワー・リットンによって暗号文書の儀式が考案され、それがマッケンジーに渡ったとする説。
・ある時、オカルトを実践的に研究する八人会のメンバーであるマッケンジーやホックリー、そしてウェストコットが集まって新しい団を作る為の教義を考え、それを暗号文書として記していた。マッケンジーとホックリーの2人が亡くなった後、ウェストコットが暗号文書の内容を元にGD団を考案したという説。
 前ページと本ページの2ページに渡って「秘密の首領SDA」と「暗号文書」という、GD団のルーツに関わる事について、様々な内容を紹介してきた。これらを見ても解るようにウェストコットがGD団の開設に当たって拠り所とした「秘密の首領」による「霊的権威」というものは、かなり曖昧かつ怪しげなものだったといえるだろう。しかし、GD団自体がその入団者に教育していた知識に関しては、GD団が創り出したものではなく、それまでの西欧に既に伝わっていた様々な西欧神秘伝統の知識を、生命の樹の図形に纏めあげたものである。これらについては曖昧な霊的権威とは関係無い素晴らしい価値を持つものであると言う事が出来よう。
 
 現代でも遥か古代から秘教の伝統を受け継ぐと称する団体は、この世界には数々ある。しかし、その実は、起源を遡っても数百年くらいのものである事が多い。神秘行や秘教伝統というものに興味を持ち、これから学習していこうと思っている学徒がいたら、ここで、その方によく認識しておいてほしい事を伝えておこう。それはよく、この業界ではこういった「霊的権威」を有りがたがる傾向というものがある。しかし、そういった見せかけの権威に惑わされないように注意してほしいのだ。そして、その団体の教義の内容自体が本当に価値あるものかどうかを見抜く「眼」と言うものを育てていくことを、学徒には常に意識に保ち続けてほしい。
(初出 20150522)

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